長田弘氏の詩より

  
{詩集・われら新鮮な旅人より}

婚礼��



きみの眉のあたりが切れているよ。とても細くあた
たかい血がながれだす 寒い時代に垂れて縮んだ舌
のうえの 無数のザラザラが触ろうとする 低い軒先
から吊るされた 氷柱は 歴史の不透明な斜面をずりお
ちていくような不安の滴り 蠢く動物たちの暗い息遣
いのリズムだ 終日やわらかい陽の光りはその周りで
みじんにくだけちるが つめたい表面をもつ 死の結晶
のなかにはけっして入ってゆくことができない

  冬の朝はいつもおそろしいほど清潔だ ざらついた 
ぼくのこころは朝の冷気にたたかれて裏返され そ
こではじめてはるかな未知の声をきくのだ 「宙ぶらり
んの状態に置かれた感受性とはいかなるものであるか 
きみはご存知だろうか」 その問いは 死者の高みから
聞こえてくるようで ほんとうは傷口にそってすすむ
生の非常な深みからきた 今日 島々をめぐる奇妙に安
定した時の過ぎてゆくとき きみの眉のうえで 流され
た血はちいさく ラーメンの汁の玉のように固まる 乾
いた血なんて 貧弱な色彩をしかとどめないものだ

ぼくらの悲哀とはそんなものだろうか いや いった
いそれは悲哀なのか? ぼくは不意に影を短くして
 うずくまる 新しい下着をきたまだ若すぎる花嫁のように
すべてを苛立ちながら

<昭和26年8月11日 キャンプ場で。
向かって右端が長田君、その隣が私。>