詩歌

    私の新作、どんなもんでしょう。御批評を。(2009年9月6日) 


「もずが枯れ木で鳴いている・・・・・・」
という歌は、学生時代に随分歌ったものですが、
サトウハチローの作詞だとは、最近のテレビドラマを見るまで知りませんでした。 
彼は少年雑誌に毎号のように詩を載せており、
例えば野球少年がガラス片でバットのグリップを削りながら春を待ちわびる詩は、
いかにも「待春」そのもので、いまでも心に残っています。
なるほどと思った私も真似をしてバットを削ってみましたが、
もちろん効果を発揮することはありませんでした。
赤バット、青バットが全盛の頃です。

小学校の同級生に長田弘氏がいます。
2015年5月3日の長田君の死に哀悼の意を表します。
彼と会った最後の写真が「同期展」のページの写真・会場風景にあります。
ハンティング帽をかぶっているのが長田君です。2014年10月9日でした。
23歳のときに「抒情の変革」、26歳で「われら新鮮な旅人」を著わし、  
安東次男氏に絶賛されたのを覚えています。
彼も当時のご多分に漏れず野球少年で、少年雑誌の懸賞に毎月応募し、
ついに革のグローブが当ったのには、驚きまた羨やんだのでした。
中学生のとき、私は生徒会の出版部長みたいなことをしたことがありましたが、
彼がこれを載せてくれと「芥川龍之介論」という原稿を持ってきました。
冒頭に「プロローグ『・・・・』ベートーベン」とあり、
悲しいかな出版部長氏は、プロローグの意味も分からず、
また何ゆえに作家と音楽家を引き合せるのかと、目を白黒させたものです。
彼の著作の中では、猫について書かれたものが幾つか目立ちます。
異色なものでは田中直毅氏との対談や、
最近では「アメリカの61の風景」が話題になりました。
満足な詩を作ったこともない私ですが、本屋で「現代詩手帳」を見かけたり、
吉原幸子氏の訃報に接したりするにつけ、ふと彼を思いだし、
また現代詩という、過激で最も売れない青春文学の行方に想いを馳せるのです。

冬の朝はいつもおそろしいほど清潔だ
 ざらついたぼくのこころは朝の冷気にたたかれて裏返され
 そこではじめてはるかな未知の声をきくのだ   

    長田弘 「婚礼�機�「われら新鮮な旅人」より 
 

 

マリー・ローランサンについての詩を見つけました。

  マリイ・ロオランサンの杖
ーロオランサンのある画を思ひてー

空にいっぽんのとかげをかざし、
あをみをはぎ、
霧をはきかけ
たちのぼる香炉のなかに三年のいのちをのばし、
さて 春のそよかぜにひとつの眼をひらかせ、
秋の日だまりにもうひとつの眼をあかせ、
月をわり、日をふりこぼして、
鐘のねの咲きにほう水のなかにときはなす。
うしなはれた情景は声をつみたて、
顔をみがき、
ひとり ひとり 息をはく、
その草の芽のやうな角をおとして。  
(「大平卓次詩集」より)

2015年5月8日に長田弘氏の訃報に接しました。
2014年10月に同期の作品展(別サイト)を行いましたが
彼にも詩の原稿を出してもらいました。
額は私が用意したのです。
改めて「雪の季節が近づくと」という詩の一部を紹介すると
 (前略)雪けぶる夜の、冬の幽霊たちもいなくなった。
それでも、雪の季節が近づくと、すぐそこの彼方へ静かに消えていった、
いつの間にかいなくなった人たちのことを、ありありと思い出す。
生きているときは遠かった人たちも、死の知らせを聞くと、
どうしてか近しく、懐かしく思われる。そうなのだ、もっとも遠い距離こそが、
人と人とをもっとも近づけるのだ。(後略)
というものです。詩の中に「死」の言葉があったことにぎょっとします。
まさかダイイング・メッセージではないでしょうに、
当時は私も含めて、誰もそんなことに気付かなかったのです。
(2015.5.9)


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