汽車の旅のような人生

友人の乾さんから次のような写真を紹介して頂きました
そろそろ人生の終着駅を意識しだした身にとっては
なんとも切なくほろ苦い写真と文章でしたが
それこそが人生ですから、またやむを得ません
すばらしい写真なので、ぜひご覧下さい
出展は不明 拙訳のほどは切にご勘弁を
なお(山田洋次風)と「金子みすず風」を付け加えました
  
(なおある種の詩であるからそのような訳がよいとのご意見をいただいてますが
 とても身に余るのでどなたか助けていただければありがたいです。)

少し前に興味ある本を読みました。人生を鉄道の旅、あるいはその旅のつながりになぞらえたものです。

(面白い本を読みました。「人生は汽車の旅の如し」だって。次々乗り継ぐ汽車の旅・・・)
「私の読んだその本は 人生は旅といいました。次々乗り継ぐ汽車の旅」

人生は鉄道の旅のようです、とその本は言います。列車に乗り、降りる。列車で戻りまた乗り換える。事故や遅れがある。途中の駅では驚きが待っています。そこですばらしい喜びの瞬間があるかと思えば、反対に奥深い悲しみに出会うこともあるのです。

(なるほど汽車に乗ったり降りたり、乗り換えたり。遅れはしょっちゅう、事故もあるし。でもまあ、行く先々でいろいろあるよね。喜びも悲しみもは、灯台守だけじゃないんです。)
「なるほどまるで旅ですね。汽車に乗ったりまた降りて 事故にあったり遅れたり 途中途中で驚きと 悲喜こもごもが待ってます」

生まれて初めて列車に乗ったら、全旅程を伴にしてくれる人とまず出会います。両親です。

(生まれて乗ったらもう先客がある、パパとママ。こんにちは赤ちゃんだって。)
「生まれて初めて乗ったとき もうおりましたパパとママ 一緒の旅のお供です」
 

でも悲しいかな、これは真実とかけ離れています。親は私たちがどうしても必要とする間は一緒にいてくれますが、彼らもまた旅の途中です。彼らの愛、好意、友情、導きそしてその存在の記憶とともに私たちは生きていきます。

(でも、それもいつまで続くことか。彼らもまた旅人ですから降りて行ってしまいます。愛情や叱咤の思い出とともに、いつまでも心に残るけれど。)
「けれど本当は違います 悲しいけれど彼らにも 彼らの旅が付いてます 途中で降りてしまいます 小言や愛の思い出も 後々心に残るけど」  

列車には他の人達が同乗しています。親に代わり、本当は我々に最も大切になる人達です。

(おや、他の人も乗ってますね。本当は彼らとの付き合いの方が長続きするかもしれません。)
「ほかのお連れもおりました 親にも代わる大切な」

兄弟や姉妹、友人、知人、私たちが愛を知り大切にする人達がそうです。

(兄貴や妹、叔父さん叔母さん、友達の数々、寅さんのよう。そういえば寅さんの親はどうしたんだっけ。)
「兄弟姉妹おともだち 私が愛を学ぶとき ほんとに大事なお人たち」

ある人達は旅をのんきなツアーのように考え、実に楽しそうに出かけていきます。

(中には呑気な人たちも・・・マドロスパイプでどこに行くのか、知ったことではありませんが。)
「中にはのんきな旅人も 一体どこへ行くのでしょう 楽しいですかその旅は」

また他の人達は旅の中で、多くの動揺、涙、別れに出会います。 さらには必要とする誰かに救いの手を差し伸べようといつまでも心を残します。

(また大変な思いをする旅人の多いこと。涙と別れ、助け合い・・まるで演歌の世界。)
「まだまだいますお連れには まあたくさんの悲しみと 涙と別れに出会う人 あの時私が救えたら 後々心に残ります 」

乗り合わせた誰かが降りたときにいつまでも心に残る印象を植え付けることも・・・   また乗ったと思ったら直ぐに降りて、あなたと旅を共にしたことや、すれ違ったサインさえ残さないかもしれません。

(いつまでも心に残る人がいるかと思えば、気にも留めてくれない憎いアン畜生。ああ、こっちの方が多いなあ。)
「誰かが今日も降りました なぜか心に残ります 代わりの人もまた降りる 何か心に残せたか」


時には愛する乗客が別のコンパートメントに自ら行ってしまい、独り取り残されてしまうかもしれません。もう二度と探し出すことができないのは仕様がありません。

(好きだったのにつれないあなた。今は幸せかい・・・。)
「時に素敵なあの人は 自ら去って隣席へ 心は揺らぐいつまでも 二度と会えないこの無情」

誰かに求められ見つけられたにもかかわらず、その人の隣に座れないかもしれません。もうその席に他の人が座っているかもしれませんから。  

(まれに気を引いてくれたのに、横からさらわれちゃった人。あんな奴にねえ。)
「折角くれた目配せも もう奪われた他の人に 戻るほかない元の席」

わかりましたか、誰の旅でも望みと夢と挑戦、挫折、そして別離で満ちているのです。だから旅ではベストを尽くすこと、何が何でも・・。

(夢ははかなく消えて、望みすでに遠のく。結局のところ何でもありなんです、この旅は。やるっきゃないんだ、人生は。)
「分かりましたかこの旅に 夢と望みと挑戦と 失意と別離と悲しみが 常に同居をしています。だからだれにもあるのです ベストを尽くす楽しみが」

我々はいつも旅の伴侶を理解するように心を砕き、その中で最良の人を見つけなければなりません。

(いい連れ合いがいないものか。頑張ってください、きっといますと仲人口)
「旅は道連れ世は情け きっといますよ よい人が」

旅の途中ではいつも、連れのだれかが途方にくれ、あなたの助けを求めていることを忘れないで下さい。

(なんなら義侠心も役に立つかも。寅さんの出番になったつもりで。)
 「あなたの助け待ってます あなたの愛を待ってます」

我々もまた時に動揺し恥じらい、逃げ出し・・・でもうまくすれば、支えてくれ理解してくれる人にそこで出会うことができるのです。

(ああ、逃げ出したくなることも山ほど。それでも女神が待っていると思わなくっちゃ。)
「思い出すのも恥ずかしい つまずき転ぶ行く手にも あるいは救いを差し伸べる 出会いがあるかもしれません」

この旅の本当に不思議なことは、終着駅がいつ来るのか私たちが知らないことです。同乗者の終着がいつなのかも知りません。直ぐ隣のシートに座っている人ですら。

(だけどまるでミステリー列車ですね。終着駅や終着時刻を誰も知らないんですから。10年後かもすぐ明日かも。それもお隣の人も含めて全員知らないとは。)
「それでも不思議この旅は 終着駅を知りません 終着時刻も知りません 私だけではありません 隣もさらにお向かいも」

自分では悲しいかな、終着駅があることを知っています。それは確かです。車中で作った友人、知人との痛ましい別離。親密な彼らから去るのは悲しいことです。でもそれからある日再び、大きな駅に着いたら、また他の旅人に間違えなく逢えるのです。彼らは自分の荷物をそれぞれ抱えています、しかもその多くが最初に列車に乗り込んだときには持っていなかった荷物です。

(ただ終着駅があることは残念ながら確かです、悲しいことですけれど。近しい人との悲痛な別離・・・。でも去る人があればこそ新たな人が乗り込んでくる。おやおや、大きな荷物を持ってきましたねえ。いつの間に増えたのかしら。)
「それでも私は知ってます 悲しいけれど終点は せっかく作ったお連れにも 生まれながらのお人にも 残念ながらあるのです でもまた着いた次の駅 荷物を抱え新しい 旅を始めるともがらが」

彼らに再び会えるならどんなにうれしいでしょう。彼らの荷物を持ってあげられたなら・・・そして暮らしを豊かにしてあげられたなら。ちょうど彼らが私の荷を背負い、私の暮らしを実りあるものにしてくれたように。

 (あの時、荷物をどうして持ってやらなかったのか。彼女はあんなに良くしてくれたのに・・・。二度と帰らぬあの時を思い起こすも悔いばかり。)
「別れた人と再会を 彼らの荷物の手助けを できたらどんなに素敵でしょう 私が救いを得たように 暮らしの実り得たように」

皆この列車に一緒に乗っているのですから、できる限り楽しく記憶に残るように旅しましょう。皆が銘々の終着駅に来るまで、最後に列車から降りるまでは。

(とにかく皆で乗ってしまったんです。タイタニックのようなもんだ。乗っている間だけでも、楽しい記憶に残るようにしようじゃないですか。いずれ終着駅に着き、汽車は去り行く、煙が残る・・・なのですから。)
「とにかく皆で乗りました あなたも私も一緒です その間だけのつかの間を 楽しい記憶残しましょう 終着駅が来るまでは 最終列車が去るまでは」

それじゃあ皆さん、ご無事で行ってらっしゃい。



(まあ、せいぜい良い旅を、
祈るほか御座いません。)
「皆様、お席はよいですか どうぞ御無事でよい旅を たった一度のこの旅を」











Last updated Dec.03,2005

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