俳句

  桑原武夫が「俳句第二芸術論」を発表したのは終戦の翌年だったといいます。
同僚の東北大学教授や学生に、大家の作品と素人の作を並べて見せ
よい句を選ばせたところ、違いが見られなかったという「実験結果」で
一句だけで何のことかわからないようでは芸術とは言えないと喝破したものです。
同時にその権威主義なども問題にしました。
もっとも虚子は「もともと第二十くらいなのだから第二なら18階の特進だ」と言ったとか。
そう言われてみると「五月雨を集めてはやし最上川」も、どこが芸術でしょう
なんて思わず言ってみたくなります。
山口瞳は「時雨るるや、の後に12文字を付ければ句になる」と言っていたそうです。
金子兜太と稲畑汀子がテレビで論争するのも権威と閉鎖の表れでしょうか。

芸術ではなくげいじゅつである、というこのホームページにぴったりの話題です。

前から気づいていましたが、新聞の短歌・俳句欄で
短歌は複数の選者に推される句が毎回あるのに、俳句ではまずないのです。
俵万智と黛まどかの差だと言ったら怒られるでしょうね。

万智は「芸」 まどかは「げい」で 春を詠む

しかし、吟行というのはぜひともやってみたいと思うのです。
小林恭二著「俳句という遊び」「俳句という愉しみ」(岩波新書)を読むと
皆で酒を酌みつつ批評し合うのは本当に楽しそう、と心底思います。
山藤章二、富士真奈美、黒柳徹子らの句会も実に和やかで
逆に言うと、「芸術」ではない、「遊び」「愉しみ」だから、とも言えます。
おそらく「権威」も「正統」もない、カラオケの雰囲気なのでしょう。

芸術は苦 げいじゅつは楽 春の宵

最後に25年前に西安で詠んだ句をひとつ。

石榴より 他に花無し 秦の陵

始皇帝の寂しげな陵が兵馬俑から何キロも離れたところにポツンとありました。
高さ20mくらいの丘になっていて、誰でも登れましたが、今はどうなっていることやら。

(クリックしてご覧ください)
始皇帝の陵碑
一面、石榴畑です 
近作です。団地のシニアクラブの句会に入ってしまって、毎月5句を作る羽目になりました。
風船に吸い込まれたる空の青
風船を持て余しをりリボンの子
思い切り風船を吹く子の孤独
夜話や西京漬けの鰤のいろ
風船の膨らむやうな佳き話
お悔みの筆休めゐる遠蛙
花冷に百颪遼槓弔犬砲韻
花冷や内輪話のぼそぼそと
夜話や間合ひ間合ひの遠蛙
青蛙動かざる陽の温さかな
新緑を天に届けむ大欅
夏めくや白衣改め回診医
雨マーク消へて一服桜餅
夏めきて裸婦の絵揃う美術館
夏めくや窓いっぱいの山の襞
短夜や「合成生物学」を閉づ
利根川へバンジージャンプ風薫る
スキー小屋無人のままに風薫る
短夜の波音不意に高くなり
薫風の吹かば歌人の碑の光る
夾竹桃入院を告ぐメール来る
夾竹桃お使いの子の足重し
夾竹桃会議やうやく終りけり
炎天に紙飛行機の一直線
炎天に道草する子駆け行く子
法師蝉鳴き止めば来る宅配便
法師蝉鳴き止みて知る日暮れかな
ひぐらしの鳴き止むごとの昏さかな
病状の話途絶へて法師蝉
踊り子の手先に揺れる宵あかり
(2018年8月1日)

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