自己紹介に代えて
八王子に住む佐々木といいます。
私は小学6年生のとき初めて水彩画で賞をもらいました。
最初で最後です。
そのときの賞状をクリックでお見せします。実はS君と一緒でした。
小学校卒業の時、寄せ書きのノートに、鉛筆で風景画を描いてくれましたが
川面に張り出した枝ぶりは、今でも到底及ばない筆致です。
S君は現役で東京芸大に入りましたが、絵に関してはぴか一でした。
フロックで私もご相伴にあずかった次第ですが
当時としては気の利いた、丸型のパレットをもらいました。
これこそが現在、絵を趣味としている原点です。
50歳になり、たいした趣味もないなあ、と思ったとき、
S君の顔と、このときの賞とが脳裏に浮かんだのでした。
競争は良くないとか選別はまずいとか、
賞を出すなら全員にとか言われる、昨今の教育現場だそうですが、
賞をもらうことがこうして「老後!」の生きがいにまで役立つとは、
もちろん当時は思いもよらなかったことなのです。
S君の個展には2度ほどでかけたことがあります。
イラスト風と細密画風と、それぞれ特徴のある展覧会でしたが、
昔見たような、「いわゆる上手な絵」はありませんでした。
昨年、田舎から送ってきた地方紙に、
90歳を超えた地元の画家による「私の履歴書」風の連載が載っており
そこにS君のことを印象深く書いておられました。
教師のかたわら彼に油絵を教えていたそうなのですが、
「受験を前に上京して予備校にも行ったが特にためになることは無かった」
と語っていたそうです。
さて、私のことに戻りますが、
他のページで紹介する「Rの会」と「グループ虹」などを含め
15年ほど油絵をやっています。
しかしながらさっぱり上達せず、歯がゆいばかりですが
それでも多少は思うように描けたかな、と思える「部分」も出てきました。
これが自己紹介の全て??!!では、無論ないのですが、
あとは、追々、追加して参りましょう。
よろしくお願いします。
母が亡くなり、私が小さかった頃のことを誰も知らないことに気がつきました。
そこで少しまとめてみようと、中学卒業の頃までをうろ覚えで書いてみました。
全部は無理なので目次だけですが。絵は母が描いてくれた私の生まれた所です。
自分が小さかった頃・目次
(2015年3月17日)
誕生日の新聞を入手しました。 表面は戦争と物資統制の記事ばかり、裏面は半分以上が広告です。 広告の中には「近眼は寝ながら治せ」「万病克服の実践・七日間使用返品自由」 「鼻の悪い人、自宅で出来る治し方」などがあり、 何十年間も同じ手口が続いていることが分かります。 一方、戦争のほうは勇ましい記事ばかりで、 日中戦争の様子を伝えており、三月(前月)の戦果として 「討伐回数260余回、交戦する敵兵75350、 敵の戦死者9700、我が損害微少」とあります。 わずか1ケ月で約1万人もの死者とは・・・。 これは北支の戦闘です。南支である南京の死闘はこの1年半前のことです。 30万などありえないなどと言う向きが今時になってありますが、 この記事は第二次大戦が始まる3年近くも前のことです。 直後にノモンハン事件もありましたが国民には知らされませんでした。 自分で蒔いた作り話はこのころからだったのでしょうか。
いずれにせよ大変な時代に生まれたものでした。(2006.07.16)
賞状などご覧下さい。
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